就活は辛く苦しい

高齢な労働者になって思うのは、就活は辛く苦しいということ。

 

これから就活をしようとしている20歳台を超える人々には

特に覚えておいてほしい。

よほどのスキルが無いと就職活動は死にたくなるほど辛いと。

 

就活は企業が喉から手が出るほど欲しがるようなスキルや経験が無いと

まず選考に漏れまくる。とんでもなく漏れまくる。

応募して30分で「厳正な審査の上、貴意に沿えない」なんてメールが来る。

 

その時自分はこう思うはず。

「自分はこの社会に必要じゃないかもしれない」

「あの時会社を辞めたのは失敗だったかもしれない」

「全く明るい未来が見えない」

 

しかしそうでは無い。

 

会社側も相当の覚悟を持って採用を行っている。

競合となる応募者も星の数ほど居る。

そんな中、自分が選ばれることは奇跡に近い。

凡庸なスキルや経験しかないのであればそれはなおさらのこと。

 

そして「もし以前の会社を辞めていなかったら?」を想像してほしい。

 

「こんな苦しい状況にはならなかった」というような

不安を紛らわせるようなイメージしか出てこなかったのなら

今回の転職活動はおそらく正解だったはず。

想像して出てきたイメージが「今が酷いから今よりはマシな程度」であるならば、

その会社に残っていてもいずれ転職をすることになっていた。

それならば早い方が良い。故に今回の転職活動は正しい選択だったといえる。

 

逆に「あの会社に居たら未来も拓けていてステキな人生だったはず」と

確信できるならば、もしかすると転職は失敗だったかもしれない。

でも、そんな状況の中でも転職を決意した確かなきっかけがあるハズ。

それはそのステキな現状すら覆さなければならないほど大事な

自分の中にある核の部分だろう。

ならばその核の部分を自分で見つけ出し、次の職場に生かすべき。

 

大事なのは現状。

会社を辞めて就職活動をしている現在進行形の今だ。

 

過去がどうあったのか? その過去が続いていればどうなったのか?

それはもう全く今に繋がらない。なので忘れてしまってよい。

ただ教訓として、反省材料として、

生かせる部分は生かし未来への糧にすることは出来る。

そういった意味で過去を反芻するのは無駄ではない。

 

しかし、あの時こうしていればこうだったかもー。というのは

自分、空を飛べるかもー以上の無駄な空想。

そういった空想でつかの間の癒しを得ることも時には重要だが、

それにどっぷりつかっていても現状は好転しない。

 

死ぬことはいつだってできる最終手段だ。

なのでそれは最後の最後まで取っておこう。

 

それより考えるべきは死ぬ前に全ての手を尽くしたか?

ということ。

 

大卒なのに高卒や中卒に混じって3Kの仕事をやってみたか?

大卒だから高卒や中卒より優位なわけではない。

 

雇われが性に合わない?

では企業をして雇う側にまわってみるのも一手。

 

経営がわからない?

経営層に近い仕事場で修行をしてはどうか。

 

今更アルバイトなんて?

居酒屋でウェイターをしているオジサンになるチャンス。

 

日本は労働環境が劣悪。じゃあ海外はどうか?

もしかしたら自分に合っているかもしれない。

 

お金が無い?

お金を得る手段はいくらでもある。

 

お金を得る手段がすべてなくなり、

親族郎党も全員おらず誰も頼れなく、

全世界の使用者からつまはじきにされ

企業する信用もノウハウも資金も無い。

 

ここまで来たら死んでもいいかもしれないけど

健全な肉体と折れない心があればいくらでも再起は出来る。

 

資格が無いなら簿記2級や宅建でも目指せばよい。

どちらも初期投資1万円程度で狙える資格だし

受け入れる企業も星の数ほどある。

 

事務が向かないならフォークリフトもお勧め。1週間以内にとれる。

高度にシステム化されても物流は最終的にまだまだ人の手が必要。

物流が抜本的に改革されるまでは需要は尽きない。

 

諦めたらそこで試合終了ですよ。

これは至極名言。

 

病気や寿命以外で自分の人生を終了させるか否かは

自分の気持ち一つ。

 

この苦しい世界、無理に生きろとは思わないが

せっかく生を受け、いろんなことにチャレンジできるのだから

いろいろかなぐり捨ててやってみるのも一興。

 

死ぬのは希望と絶望を満喫した後でも良い。